岩手・大槌 古里変わり果てていた 松崎さん帰省し撮影 |
東日本大震災による津波が町をのみ込んだ岩手県大槌町。
同町に実家があるマツダ社員松崎覚(38)・広島市中区=は今月初めに帰省し、変わり果てた町の姿をその目で見た。広島から帰ったのは、懐かしい町並みが広がる35年前の写真。多くが失われた漁業の町で「家族の記録を残したい」と今回、同じアングルから撮影した。 |
左−2011年4月4日 震災後に実家のホテル屋上から撮影した大槌町。懐かしい街並みは消え、がれきが広がる。
右−1976年9月 同じ場所で撮影した写真。3歳だった松崎さんの後ろにう大槌町が広がる。 |
「ひどいなあ〜。と心の中でつぶやくしかなかった」。今月1日、がれきや焼け跡が広がる町。砂が大量に黙って口の中がざらつき、海の臭いがきつく漂っていた。松崎さんの実家はJR山田線大槌駅前にある鉄筋3階建てのビジネスホテル。壁が崩れ、窓が折れながら、辛うじて立っていた。
1・2階には土砂や壊れた物が詰まって前に進めず、家の外にひたすら出した。1階で行方不明だった伯母の遺体を荷物の下から見つけた。「行方不明の家族を探し続けている方もいるので、見つかっただけでもよかった・・・」
両親はホテルの屋上に逃げて無事だった。震災後、「ホテル内を片付けて貴重品や思い出の品を捜してほしい」と頼まれた。久しぶりに帰郷。1976年、3歳の時に屋上から写した写真を胸にしのばせた。ホテルを経営していた優しい伯母フサさんと過ごした時間が刻まれた一枚だ。
兄とともに片付けている間、「家族の記録を残さなければ」とカメラのシャッターを切り続けた。子供の頃よく遊んだホテル屋上からも。町は一面がれきと化し、高い建物はほとんどなかった。
後方づけの最中は夢中だったので冷静だった。
広島に戻った今、「思い出を津波に押し流されてしまった」というつらさと、「言いようのない疲労感を覚える」と、とつとつと悟る。
同じアングルで撮った写真について「昔とは違いすぎて別世界に来た感じ。町の復興には時間がかかるし、元通りはならにかもしれないが、何とか元気な町になってほしい」と願っている。 |
(2011年4月17日 中国新聞 朝刊より) |
|