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実家の記録写真
東日本大震災 失った時を求めて

2011年5月13日(金)〜6月14日(火)
岩手・大槌  古里変わり果てていた   松崎さん帰省し撮影 
東日本大震災による津波が町をのみ込んだ岩手県大槌町。
同町に実家があるマツダ社員松崎覚(38)・広島市中区=は今月初めに帰省し、変わり果てた町の姿をその目で見た。広島から帰ったのは、懐かしい町並みが広がる35年前の写真。多くが失われた漁業の町で「家族の記録を残したい」と今回、同じアングルから撮影した。
 
左−2011年4月4日 震災後に実家のホテル屋上から撮影した大槌町。懐かしい街並みは消え、がれきが広がる。
右−1976年9月 同じ場所で撮影した写真。3歳だった松崎さんの後ろにう大槌町が広がる。
「ひどいなあ〜。と心の中でつぶやくしかなかった」。今月1日、がれきや焼け跡が広がる町。砂が大量に黙って口の中がざらつき、海の臭いがきつく漂っていた。松崎さんの実家はJR山田線大槌駅前にある鉄筋3階建てのビジネスホテル。壁が崩れ、窓が折れながら、辛うじて立っていた。
1・2階には土砂や壊れた物が詰まって前に進めず、家の外にひたすら出した。1階で行方不明だった伯母の遺体を荷物の下から見つけた。「行方不明の家族を探し続けている方もいるので、見つかっただけでもよかった・・・」
両親はホテルの屋上に逃げて無事だった。震災後、「ホテル内を片付けて貴重品や思い出の品を捜してほしい」と頼まれた。久しぶりに帰郷。1976年、3歳の時に屋上から写した写真を胸にしのばせた。ホテルを経営していた優しい伯母フサさんと過ごした時間が刻まれた一枚だ。
兄とともに片付けている間、「家族の記録を残さなければ」とカメラのシャッターを切り続けた。子供の頃よく遊んだホテル屋上からも。町は一面がれきと化し、高い建物はほとんどなかった。
後方づけの最中は夢中だったので冷静だった。
広島に戻った今、「思い出を津波に押し流されてしまった」というつらさと、「言いようのない疲労感を覚える」と、とつとつと悟る。
同じアングルで撮った写真について「昔とは違いすぎて別世界に来た感じ。町の復興には時間がかかるし、元通りはならにかもしれないが、何とか元気な町になってほしい」と願っている。 
 (2011年4月17日 中国新聞 朝刊より)
 

被災地 家族の記録
東日本大震災による津波で大きな被害を受けた岩手県大槌町に実家がある会社員松崎覚さん・広島市中区。
「家族の記録を残したい」と撮影した被災地の写真の展覧会が13日、福山市加茂町の「ギャラリア風の巣」で始まる。
タイトルは「東日本大震災 失った時を求めて 松崎覚写真展」。
震災後の4月に帰省した松崎さんが、思い出の詰まった実家であるビジネスホテルの変わり果てた姿など約20枚を展示する。家具やがれきが散乱する室内や、高い建物がなくなった町の様子などが記録されている。
4月17日付の中国新聞に掲載された2枚も展示。ホテル屋上から1976年に撮った写真と、4月に同じアングルで撮った写真を並べ、被害の大きさを伝える。
松崎さんは「がれきだらけの風景からは、かつて多くの家族がここで普通に生活していたことは思い浮かべにくいかもしれない。震災で何が失われたのか。写真を通して想像してもらえたら」と思いを込める。
風の巣代表の田中仁美さんが中国新聞に掲載された松崎さんの写真を見て、「多くの人が、東北に心を寄せながら長く支援をするきっかけにしてほしい」と企画した。
 (2011年5月12日 中国新聞 朝刊より) 
 
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 (写真監修:岡村博文)


カメラマンとしてお手伝いができれば・・・      
私は、カメラマンとして日本中を走り朝日と夕日を中心に撮影旅をしています。
撮影として東北へは2度行き、2006年には岩手県・陸中海岸の北山崎〜宮古湾〜トドケ崎、宮城県・東松島、福島県・塩屋崎と千葉県・房総半島へと南下しました。
大震災で報道される画像を見て身震いがした。映し出される画像や地名はあたかも自分が走ったコースを丸のみしていた。東北で見たあの美しい景色はどうなったのだろう?。
そこに生活していない、繋がりがない自分としては何もできない。
そんな時に、ギャラリア風の巣のオーナーから、震災後の写真を展示する写真として選んでほしいと声がかかった。
松崎さんに会ったことはなかったが、「見るだけなら・・・」と引き受けた。
見た瞬間、東北地方特有のリアス式海岸や漁港のイメージがふっ飛んでしまた。
デジカメで撮影された画像をパソコンで隅々まで見ていると、津波の脅威や猛威を知らされた。
松崎さんの撮影された1枚1枚にはただ悲惨さだけなく、過去から止まってしまた現実の今を記録として残したいという気持ちがヒシヒシと感じられた。

私もカメラマンとして何か復興・支援に手助けはできるのではないかと思いこの企画に参加させていただきました。
 <岡村博文>


<< 私が見た美しい東北! >> 同時展示させて頂いてます(2006年撮影)

       
-朝 日-
岩手県:弁天崎
-夕 日-
岩手県:宮古湾
-朝 日-
岩手県:トドケ崎
 -夕 日-
宮城県:東松島
-朝 日-
福島県:塩屋崎

       

その後・・・のこと。

東日本大震災から2年が過ぎた。
再び、東北地方を旅してみた。
カメラマンとしては震災後に東北へは行きたいとは思っていなかった。
しかし今の東北の景色として記録して記憶に留めることにした。

雑誌 車中泊 カーネル 東北・三陸海岸を北上する その1 旅人が見た震災後の東北地方
雑誌 車中泊 カーネル 東北・三陸海岸を北上する その2 旅人が見た震災後の東北地方
  <岡村博文>